創業年=1884年 創業者=ソティリオ・ブルガリ 創業地=イタリア、ローマ |
洗練のデザインと積極的な経営戦略で一大ウォッチグループに成長
独創的なスタイルを生むジュエラーとしてのこだわり イタリアン高級ジュエラーとして世界に名を馳せるステータスブランド=ブルガリ。創業者のソティオ・ブルガリは1857年、ギリシャに古くから続く銀細工師の家系に誕生した。長じて優秀な職人として活躍していたが、1879年にイタリア・ローマへと移住。戦禍を逃れて・・というのが移住の理由だったが、ソティリオはまた同時に、世界のファッション震源地であるイタリアのステップアップを狙っていたのだった。移住5年後の1884年には自身の宝飾店をオープン。ブランドとしてのスタートを切ると、ギリシャと古代ローマの文化が融合した独創的なジュエリーが評判を呼び、事業は順調に拡大する。やがてふたりの息子、コンスタンティーノとジョルジョも事業に参加し、1905年には立地に優れたスペイン広場近くのコンドッティ通りに店舗を移転した。 ブルガリは1930年代から上流階級向けのドレスウォッチを手がけているが、本格的な時計製造を始めたのは70年代後半から。1977年発表のブルガリ・ブルガリは、厚さ5㎜と存在感たっぷりのケースにシンプルなダイアル、ベゼルに大胆に刻み込まれたブランドロゴが目を引く。このモデルは、世界のセレブに愛されるジュエラーとしての面目躍如の出来映えで、瞬く間に世にブルガリウォッチの存在を知らしめることとなった。現在は、宝飾タイプから複雑機構搭載タイプまで、さまざまなバリエーションを展開。さらにはジュエリーラインに派生し、リングやネックレスなども高い人気を誇っている。ブルガリ・ブルガリは、時計部門のみならずブランド全体を牽引するシリーズなのだ。 1980年代に入ると時計部門の発展を図り、企画から製造まで一貫して手がけるブルガリ・タイム社をスイスに設立。古代ローマの円形競技場をモチーフにしたアンフィテアトロなど、意欲的な新シリーズを続々発表してゆく。1988年にはスポーツウォッチ=ディアゴノが誕生し、新たなブルガリウォッチファンの獲得に成功。またデザイン性の追求の一方、機能性を極めた複雑モデルも手がけ、2006年にはついに自社開発のコンプリケーション・ムーブメントを発表している。さらにブルガリは、ダイアル、ケースなどの名門製造会社を次々と買収し、一大ウォッチグループとして盤石の体制を整えていった。 2009年はブランド誕生125周年のアニバーサリーイヤー。ブランド創始者へ敬意を込めた新コレクションとして、ソティリオ・ブルガリが登場した。シンプルで力強く、それでいて繊細な職人技が光る個性派モデル。これまで特徴的にあしらわれていたブランドロゴはごく控えめに配置され、ブルガリがここからまた新たなステージへと進んでゆくことを予感させる仕上がりとなっている。 |
― ブルガリの歴史(BVLGARI)―
1884 | 銀細工師だったソティリオ・ブルガリがイタリア・ローマのシスティーナ通りに宝飾店として創業 |
1901 | 銀細工のみならず宝石を用いたジュエリーを展開する |
1905 | ソティリオのふたりの息子、コンスタンティーノとジョルジョの協力で、ローマのコンドッティ通り10番地に店を移転=現在のブルガリ本店 |
1934 | ソティリオ・ブルガリが75歳にて死去。二人の息子が名実ともにブランドを背負う。同時期に時計製造もスタート |
1977 | ブルガリ・ブルガリを発表 |
1982 | スイスに腕時計製造専門のブルガリ・タイム社を設立。腕時計分野に本格的に参入 |
1984 | パオロ・ブルガリ、ニコラ・ブルガリがブルガリの会長、副会長に就任。ふたりの甥であるフランチェスコ・トラパーニがCEOに就任 |
1987 | 宝飾ブランドとして日本に進出 |
1988 | ディアゴノを発表 |
1991 | アジア旗艦店として東京本店オープン |
1992 | 正方形ケースのクアドラートを発表 |
1994 | ミニッツリピーター、トゥールビヨンを発表 |
1996 | グランコンプリカシオン搭載のブルガリ・ブルガリを発表 |
1998 | 大ヒットモデル、アルミニウムを発表 |
2000 | 長方形ケースのレッタンゴロを発表。スイスの高級時計メーカー、ジェラルド・ジェンタ社とダニエル・ロート社、関連製造施設を所有するマニュファクチュール・オート・オルロジュリー社の株を100%取得 |
2005 | アショーマを発表 |
2006 | 自社開発のコンプリケーション・ムーブメントを発表 |
2008 | ディアゴノ20周年を祝い、ディアゴノ カリブロ303を発表 |
2009 | 創業125周年を記念してソティリオ・ブルガリ コレクションを発表 |